過去の話 なぜカラーセラピストになったのか

 

私がなぜカラーセラピストになったのか、私の過去のことについて書きたいと思います。実は昔から目指していたというわけではありません。

あまり明るい話ではなく、長文になりますがご覧下さい。

 

 

1.学生時代 小学校から大学まで

 

昔から私は、引っ込み思案で内向的な性格でした。クラスには一人はいたかと思います、目立たない子。友達も多いほうではなかったです。

高校までは成績は良かったです。が、裏を返すとそれしか取り柄がなかったのです。だからそこにすがっていた、そのことにのみ存在意義を感じていました。

コミュニケーションがあまり得意ではなかったのです。

 

高校卒業後、上京し大学と大学院では応用化学を専攻、金属(無機化学)を専門にしていました。大学の頃もコミュニケーションは得意ではなかったですが、友達は増えていました。

 その頃は就職の氷河期とまでは言いませんが、少し求人が少なかった頃でした(今に比べれば楽でしょう)。就職活動を行いますが、コミュニケーションも得意とはいえず、就職活動は苦戦しました。

 

そして、ある鉄鋼メーカーに研究職として内定をいただき就職します。

決まったのは6月頃、遅めの内定でした。

 

2.メーカー勤務時代 研究者として社会人に

 

就職したのは鉄鋼メーカー、平成の世の中に良くも悪くも昭和の雰囲気の会社でした。とても体育会系ですが、温かみのある雰囲気でした。

 

研究といっても、力仕事も自分で行うような会社でした。現場を知ることが大切でしたから、会社の方針としては正しいと思います。

肉体労働も結構多かったのできついと思うこともありました。でも、海辺に出て安全ベルトをつけてボルトの交換、1200℃まで鉄鋼板を焼くなどという作業も行うことができ、楽しかったことの方が多かったです。

 

 

コミュニケーション不足克服のため、上司にいずれ技術営業を行ってみたいと話したところ、入社半年目でいきなり営業に同行させていただきました。

言うまでもなく、初戦は撃沈でしたが・・・。

 

(この時の上司や同じグループの先輩方には大変お世話になりました。いずれお礼がしたい・・・。)

 

 

当時はまだ体力もあまりなく、体を壊しやすかったり、色々な揉め事も起きたり、でも会社の先輩たちと飲みに行ったり、協力して仕事をしたり・・・、楽しいこともたくさん起き、社会人生活をいろんな意味で堪能していました。同時に、自分のいる環境によりその人の成長度合いや心理状況も変わるのだということも実感しました。対人関係もそうですし、労働環境もそうです。

 

 

当時、実は弁理士を目指していました。

ですので、3年はこの会社でがんばってそこからずっとこの会社にいるか、転職を検討するか様子を見てみよう、と考えていました。

 

 

そんな矢先、大事件がおこりました。

 

 

3.予想外の出来事 父の急逝

 

就職して二年目の秋、それは突然起きました。

 

母からの電話。

 

 

父親が入院したから帰って来いとのこと。

 

大急ぎで故郷に帰りました。

 

そして、病院へ。

 

 

 

約半年ぶりに見た父親の姿を見て愕然としました。

 

 

もともと細い人でしたが、やつれていたのです。

 

 

それでも、気丈に振舞っていました。

 

もともと多弁な人ではなかったのでそんなに会話はなかったのですが、

 

 

「また来るから」

 

 

と父に向けて言ったこの言葉が、父親との今生の別れでした。

 

 

数日後に容態が悪化し亡くなりました。

死因はガンでした。

 

死後に聞いた話ですが、私と会った日には既に回復の見込みはなったとのこと。きっと痛みも苦しみもあったでしょう。

 

でも母親にも病院関係者にも何も弱音を吐かなかった。強い父親でした。

 

父親は日本史の教師、最後は高校の時の母校の校長になり、そして定年退職。その秋のことでした。死ぬ直前まで退職後にはじめた歴史関連の仕事をしていたそうです。

 

 

いつか家族でのんびり温泉旅行をして親孝行をしよう、などとのんびり考えていたのですが、夢に終わりました。

 

 

 

「人間いつ死ぬかは分からない」

 

 

 

この頃から私に様々な変化が現れます。

 

 

4.なぜかやる気が出ない 軽いうつ病に

 

父親の死後、四十九日が過ぎ色々落ち着いてきた時のことです。

 

妙にやる気が出ない。

 

今までも仕事に関しては軽く思ったことがありましたが(きっと誰しも経験するレベルです)今までのやる気のなさとは格が違う。

 

 

仕事以外もどうでもよくなっている。

少し距離を置いていたとはいえ、その時には愛する恋人がいました。

 

ですが、恋愛すらどうでもよくなっている。

 

 

なにか知らないけど

 

「ヤバイ」

 

自分の中でそう思いました。

 

 

そして、心療内科へ行ってみることにしました。

 

 

色々話を聞いてもらったり、テストをした結果、軽度のうつ病と診断されました。

 

身内の死による影響で数ヶ月後にうつになる人は結構いるとのこと。

 

薬をいただきました。

 

 

定期的に病院に通い、特に休職などはせずに2ヶ月くらいで普通に回復しました。

 

 

5.退職し一時帰郷 自分の時間を大切に

 

 一時帰郷のため会社を辞める決意をします。3年したら転職とは考えていましたが、転職に不利といっても退職をしました。休職の申し出もいただきとても嬉しかったのですが、どれくらいいるか分からないためお断りしました。いつかこの会社には恩返しをしたい、そう思いつつ退職しました。

温かみの会社でしたが、とても良い会社だったと思っています。父親が生きていれば、まだここに勤めていたのではないでしょうか、今でもそう思っています。

 

ちなみに、この頃より色や心理に興味を持ち始めます。工場内もよくお邪魔していたので、工場の環境についても気になり始めました。簡単な勉強はしましたが、本格的な勉強をするには到りませんでした。

 

 

その後は次にどうするか考える前に、旅に出たり、帰郷して色々行うことをこなしたり、と自分の時間をとりました。

 

 

さて、これからどうしようかと。

 

(余談ですが、会社を辞めた頃恋人とも別れました)

 

 

6.東京に戻り転職 そして・・・

 

結局、東京で転職活動を始めました。

そして、あるコンサルタント会社に営業で入社します。

研究とは別の畑に飛び込みました。

 

実は、研究職時代に技術営業がとても楽しかったからです。

 

しかし、面接前と後の話がまったく違う。

 

仕事面、福利厚生面、土日も普通に無給で仕事、などなど。

(良い製品を売る良い会社でしたが、私とは相性が悪かったようです)

 

たったの一月でダウンします。

 

 

夜の24時に歩いて帰りながら、

 

「何やっているのだろう」

「何で生きているのだろう」

 

 

全てに絶望、無価値感。

 

 

そして思ったこと

 

 

 

「消えたい」

 

 

 

駅からとか、ビルからとか何度か考えました。

 

 

でも、実行はしませんでした。

ふと残った人がどうなるのかなと思ったのです。

 

特に家族。父親が急逝し1年以内にもう1人となったらなおさら・・・。

 

 

最後の気力を振り絞って会社を辞めました。(ご迷惑おかけしました、会社の人)

 

 

 

そして、迷わず心療内科へ。

 

 

重度のうつ病でした。

 

 

本格的な薬をいただき、闘病生活が始まります。

 

 

7.うつ闘病生活 無価値感との戦い

 

うつになったのが27歳の時、この年齢は男性の一般的なサラリーマンで言えば、仕事ではそれなりの責任を任される年齢ではないでしょうか。人によっては結婚もするでしょう。

 

 

それに比べて自分はなんてダメなのだろう。

(勝手な思い込みなのですが、取れなかったのです)

 

 

お金に関しても親から借りている状況、かといって自分で働くこともできない・・・。

 

 

 

生きている価値あるのだろうか?

 

 

無価値感、孤独、うつとの戦いの日々が続きました。

 

 

不安なため朝方まで起きては寝るという、生活習慣も乱れる有様。

 

 

何か資格でも取れば自信がつくかなと、某Wセミナーにて社労士の勉強を始めました。しかし、向いていなかったのですぐやめました。

 

 

本当に何も感じない毎日でした。

 

 

8.突然何かが吹っ切れた そしてカラーセラピーとの出会い

 

うつ病は薬を飲み続けると、感情の上下を繰り返しつつ、回復していきます。

 

ある日何かが吹っ切れたように思いました。

父親が亡くなった時の事がよみがえりました。

 

 

「人間いつ死ぬか分からない」

 

 

 

 

 

「じゃあ、好きなことだけしてみよう」

 

 

昔から自然が好きだったので、自然を散策したり、庭園をめぐったり、心理学の本を読み漁ったり・・・。

色の勉強も本格的に始めました。

 

 

そして、ネットサーフィンをしていたある日のこと

 

 

「カラーセラピー」

 

 

 

という単語を見つけました。

 

色々調べていくうちにカラーセラピーは色と心理を融合した何らかのものであることが分かりました。

 

 

習いたいと強く思い、そして習いに行きました。

 

今思うと先に受けてからでも良かったのでは、と思いましたがカラーセラピーを受ける前に習いに行きました。

直感が働いたのだろうと思っています。

 

 

そして、習い終わった後、すぐさまカラーセラピストとして独立することを決意。闘病は続いていましたが、深く学ぶのであれば問題はないだろうと思い、周囲にも宣言しました。

(1週間はかかっていないです)

 

この頃より回復速度が早まります。そして、調子の良いときには対人でカラーセラピーを行い始めました。

 

そして、その年の冬にうつから回復しました。

 

 

 

自分の興味があったもの、それだけを行った結果、うつから抜け出すことができたのだと強く思います。

 

 

そして、うつの人はもちろん、日々の生活で辛い思いをしている人、悩みのある人、そういう人の力になりたい。

 

逆に言うとうつになったからこそ、このような気持ちに、カラーセラピストとなろうと強く思ったのかもしれません。

 

 

人生の転機は何がきっかけになるか本当に分からないと思います。

 

 

時折思うことがあります。

 

私が人に何かを伝えたいと思うのは父親の影響なのかもしれません。何か教えてその人が喜ぶところを見ると嬉しいのです。

 

 

9.回復後~今 そしてこれからの夢

 

回復後は、ブログやメールマガジンで色彩心理やカラーセラピーについて広めつつ、ホームページ制作の勉強もはじめました。

 

ホームページに関しては仕事をいただくまでになりました。

(近いうちに色彩心理とカラーセラピーをベースとし、顧客にあなたの思いを適切に伝えることができるホームページ制作もメニューにしますので、ご相談に乗ります)

 

そして、カラーセラピストとしての活動を少しずつ広めています(実は某大手通信教育会社より取材も受けました、いずれ掲載されるそうです)

今後はカラーセラピストの養成に力を入れていきたいと思います。

 

他にもハープとの出会いもありました。いずれはハープとカラーセラピーの融合も考えています。(ハープの演奏が今では一番の趣味です、本格的にハーピストとしての活動も行いたいです)

 

 

そして、色だけでなく照明や環境についても学んでいます。その場の環境が変われば人の気持ちも変わる、つまりは快適な環境を作れば毎日楽しくいることや、楽しく安全に仕事を行うこともできる、そう考えています。

(環境改善のコンサルタントとして工場には戻りたいと思います。特に勤めた鉄鋼メーカーには。)

 

 

それに、色彩などで毎日楽しめればうつな気分にもなりにくくなるでしょうし。うつの方の気持ちを明るくする支援も行いたいです。

 

 

色と光(照明)で人の気分を世の中を明るくする、それが私の今後の夢です。

 

明るく楽しく生きること、これを広めていきます!!

 

 

長文をお読みいただきありがとうございましたm(__)m

 

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